五輪延期で“幻”になったサプライズ 亡き夫思い「聖火リレー」見届ける

聖火リレーを楽しみにしていた夫の遺影にほほ笑みかける富美子さん=長崎市

 東京五輪の聖火ランナーになって、結婚50年目のサプライズにしよう-。妻に内緒で応募して、走者に選ばれていた長崎市の辻郷國昭さんは昨夏、本番を心待ちにしながら、がんのため74歳で他界した。五輪が1年延期されていなかったら、昨年実現していたはずの金婚式のプレゼント。走る姿は見られなかったが、妻の富美子さん(72)は夫の思いをしっかりと受け取った。「お父さん、ありがとう」

■サプライズに
 辻郷さん夫妻は稲佐山の麓の斜面に並ぶ住宅地で暮らしてきた。國昭さんは大鳥町第3自治会長を30年、民生・児童委員も約37年務め、バザーや祭りの各種イベントを積極的に企画するなど、地域活性化のために尽力。2018年に瑞宝単光章を受章した。
 地域で見せる世話好きで温かい顔の一方で、普段の生活は仕事一筋。製造業の丸潮工業(長崎市)で専務を務め、70歳をすぎて現場に出ることもあった。外で精いっぱい気を使うからか、家庭ではあまり口数の多い方ではなかったが、いつも「ありがとう」という言葉は掛けてくれた。そんな夫を富美子さんは献身的にサポート。2男1女を育て上げるなど「二人三脚でやってきた」。
 20年3月の「金婚式」を控えた前年の冬。國昭さんに「聖火ランナー決定」が通知され、富美子さんは初めてそのことを知った。「結婚50年を迎える家内と、支えてくれた地域の皆さんに感謝を伝えるサプライズがしたい」-。夫の応募動機に「もう、うれしくて」。感激しきりだった。
 内定を受けて、國昭さんはすぐに本番用の白い衣装に合わせた白ふちのサングラスと白いシューズを準備。走る練習も始めた。富美子さんも家族や地域の人たちと一緒に応援に行くのを楽しみにしていた。

■きっと笑顔で
 ところが、20年に入ると、元気だった國昭さんが体調を崩す日が増えた。手術して治っていたと思っていた肺がんが再発。3月からは抗がん剤治療で入退院を繰り返し、6月以降は自宅療養となった。そして7月、家族に見守られながら穏やかな最期を迎えた。富美子さんは在宅医療の医師から言われた。「こんなふうに自宅で家族にみとってもらえる人は少ない。ご主人は幸せですね」と。
 自宅で夫の遺品を整理していると、瑞宝単光章受章祝賀会のあいさつ文の下書きが出てきた。
 「自分に与えられた人生を自分のため、家族のため、社会のために生き抜いてきた。それも家内や皆さん方のおかげ。心より感謝しています」。最後に「本当に充実した人生だった」と記されていた。
 子どもたちも「いいおやじやった」と口をそろえる自慢の夫。「普段はそんなに見せないけれど、笑った顔が一番好きだった」
 約1カ月後の5月7、8日、長崎にも聖火リレーがやってくる。夫の姿はないけれど、きっと、笑顔で走っていただろう。富美子さんはそんな想像をしながら、応援したいと思っている。

 


© 株式会社長崎新聞社