洋楽じゃ視聴率はとれない?定説をくつがえした「ベストヒットUSA」の登場! 1981年 4月4日 テレビ朝日系音楽番組「ベストヒットUSA」の放送が始まった日

洋楽マーケット拡大に際立つ存在感と実績「ベストヒットUSA」

アメリカで1981年に登場したMTVの効果は、アメリカの音楽産業、特にロックビジネスを巨大化させました。この風をうけて、日本でも “洋楽黄金の80年代” が誕生していますが、具体的には、それまで洋楽には縁が薄かったTVメディアで、ロックミュージックの映像がお茶の間に流れ始め、洋楽の新規入門者が激増したことです。

TVの力によってヒットの規模感が膨れ上がり、レコード販売枚数が大きく増えています。つまり洋楽マーケットが一気に拡大し始めたわけですが、TVで洋楽を紹介する音楽番組の中でも、特にこの『ベストヒットUSA』の存在と実績は際立っていました。

TVでとりあげられるために必要だった “あるレベル” 以上の人気と話題性

私自身、CBSソニーで洋楽のディレクター職に就く以前にはメディア宣伝担当としてTV局にもプロモーションで日参していました。海外の映像を買い付けて放送していたNHK『ヤング・ミュージック・ショー』は伝説的な番組ではありますが、不定期なもの。仮にレコード会社にプロモーション映像(時代的には16ミリフィルムが多かった)が届いても、オンエアしてくれる番組は『11PM』やNHKなどに若者向き情報番組などありましたが、つど都度のショット的な扱いにならざるを得ず、継続的に洋楽情報を伝える事は無理でした。

来日したアーティストの生身ブッキングでは『ミュージックフェア』や『夜のヒットスタジオ』などあったものの、あるレベル以上の人気と知名度がない限り、とりあげてもらうことは叶いません。そもそもTV視聴者は不特定多数過ぎるし、大半は残念ながら洋楽に興味ありません。彼等の琴線に響くことは稀です。これは宣伝する側の都合ですが、とりあげられるアーティストが、あるレベル以上の人気と話題性をもってない限り、TVの力は存分には発揮できなかったのです。

新規洋楽ユーザーの取り込みに効果、お茶の間メディア “TV” のチカラ

TVでピックアップされる洋楽は、僥倖的なドラマBGMやCM音楽タイアップもありましたが、そもそもメディアに流す映像がないと話になりませんし、情報番組含めて不定期かつ限定条件付きでした。そういう状況の中、洋楽プロモーション史開闢以来の新しい武器であるMVが発明され、これを主役にして登場したのが、新しいスタイルのクリップ番組でした。

継続的に洋楽情報を発信できる番組は、我々レコード会社にしてみれば、プロモーションの力強い味方でしたし、ヒットづくりの新しいプラットホームを手にした感じでした。実際、この番組は洋楽ビジネスの救世主のような位置づけになっていきました。

もちろん、これ以前もこれ以降も洋楽でシングルヒットづくりの基本はラジオエアプレイでしたし、時代が少し進んで90年代に入ってもこの事実は揺らぐことはありません。ただ、ラジオは個人のメディア。リスナーの積極的な動きが大きな前提です。

TVの強さはここに発揮されます。そもそもがそれほど洋楽に興味があったわけではないけれど「目の前に出されたら観てみようかな」という受動的な視聴者を新規洋楽ユーザーに取り込むことができたのです。これこそが、お茶の間メディアであるTVのチカラでした。この番組で初めて洋楽を知りました、というユーザーが多いのが、この番組の一番の実績です。

1日に何度も同じ映像を繰り返すMTV、効果的だったラジオ的なリピート

そもそも、番組内容に大きな特徴がありました。あるアーティストの新着映像が面白く話題性あったとしても、TV情報番組という特性から普通は放送は1回きり、というところです。1回しかないオンエアのタイミングを見計るということは、これはプロモーションプランにおいて、TV番組と付き合う時に一番気を遣うポイントでした。

実は、ラジオの強いところは、何度もリピート・エアプレイができる、というところにありました。後には “ヘヴィ・エアプレイ” という単語まで生まれるわけですが、これは繰り返し訴求し続ける事がヒットづくりに重要なキーポイントだということが分かったからのことです。アメリカのMTVが大成功したの理由のひとつに、24時間放送ということがあり、よって1日に何度も同じ映像を繰り返しエアプレイできるということがありました。何度も観た、何度も聴いて気に入った、という刷り込みが購買意欲をもたらしています。

TV的な従来型弱点を解消、チャート上にある限り効くリピート

音楽番組の24時間放送が日本に登場するのはずっと後年ですが、リピートが難しい、というTV的な従来型弱点を解消できたのが、この番組『ベストヒットUSA』でした。アメリカのラジオ専門紙 “ラジオ&レコーズ”(通称ラジレコ)のオンエアチャートをベースに楽曲を紹介していくわけですから、一度ならずチャート上にある限り、なにかと語られ映像が流れ、リピートが利くのです。これが大きな強みでもありました。

特に我々は、アメリカCBSレーベル担当でした。本国のヒットチャートに依存するところが大きく、アメリカで “ラジレコ” にチャートインしてくれれば、まずはオンエアされる理由と資格が生まれるので、そこは他力本願で第一関門突破です。アメリカ依存型でないレーベル関係者は、もちろんチャートに入らなくてもピックアップされる枠はあったものの、なかなかこの番組を稼働させることは難しかったかもしれません。

アメリカでの知名度も高かった重要番組「ベストヒットUSA」

いくらアメリカのラジレコ・チャートが中心と言えども、日本の洋楽マーケットはそれだけではありません。レコード各社のプッシュものや話題のアーティストは積極的にピックアップされていました。このあたりは後にも少し触れますが、番組制作側も洋楽レコード各社とラジオとの付き合いにも似た運命共同体の意識があり、一緒にマーケットを盛り上げていこうとする気運がありました。

我々がアーティストをプロモーション来日させ、そのスケジュールをつくる時、まずはこの番組のレギュラー収録曜日を確保することから始めていました。何曜日だったかは失念しましたが、六本木にあった収録スタジオにはよく伺いました。

また、多くの来日アーティストをブッキングしていたので詳細は省きますが、この番組の重要性は本国のレーベルやマネージメント関係者にも十分に伝わってました。特にアメリカの音楽関係者へは我々だけでなく他レコード各社も、取材交渉時には必ずこの番組を説明していたので、番組スタートからほどなく、アメリカでもこの番組の知名度はあがっていました。

番組の魅力は、ヒットのリアルタイム性と映像クリエイターたちの作品

全米中のラジオ局で、まさに今かかりまくっている新曲情報とオンエアチャートを上がっていく様がリアルタイムの高揚感をつくりだし、しかも新進気鋭の映像クリエイターたちが創ったエキサイティングな映像も流れるのです。

実際ミュージッククリップの映像クリエイターからヒット映画監督も沢山生まれていますし、MV制作は彼らにとって腕試しの機会であり、世に出るチャンスでもありました。

小林克也TVデビュー、全体のリズム感はまさにラジオの音楽番組!

ラジオ業界では有名だった小林克也さんもこれがTVデビューでした。彼のトークはまさにラジオDJでしたし、番組を構成していたスタッフも現役のラジオ制作マンでした。音だけ聴いてもラジオ番組みたいな心地よいテンポです。TV制作出身の制作マンは映像から入りますが、ラジオマンは音から入ります。番組全体に流れるリズム感はまさにラジオの音楽番組です。

放送時間も最高でした。まさに若者の時間帯になる土曜日23:30スタート。スポンサーはブリヂストン。“洋楽はレイティングがとれないからTV番組としては成立しない” という定説を覆してくれました。

本当にこの番組『ベストヒットUSA』にはお世話になりました。ブリヂストン宣伝責任者に、スポンサーを見つけてくれた博報堂に感謝します。

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カタリベ: 喜久野俊和

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