アラカン日本町

 約400年前の江戸初期、朱印船貿易の隆盛に伴い東南アジア各地に「日本町(にほんまち)」と呼ばれる日本人居留地ができた。中でもタイのアユタヤは山田長政の活躍で有名だ▲日本町には渡航した船員や商人、武士のほか、江戸幕府の禁教令で追放されたり弾圧から逃げてきたりしたキリシタンも住んでいた。朱印船貿易の基地であり、キリシタンの町だった長崎の出身者は特に多かったはず▲日本から最も遠い日本町はミャンマーのアラカンにあった。同国西部で栄えたアラカン王国の都だ。郊外の日本町には多くのキリシタンが国王に親切に遇されて暮らしていた▲だが、幕府が1635年に日本人の海外渡航と帰国を全面禁止し、いわゆる鎖国をした数十年後にはアラカン日本町は消滅したらしい。現地には過去に多くの日本人が来住し、子孫も残っているとの言い伝えがあるという(岩生成一著「朱印船と日本町」)▲ミャンマーで国軍がクーデターを起こして政権を握り、罪のない市民を多数虐殺している。犠牲者の中に長崎の血を引く人もいるのではないか。想像して胸が痛む▲長崎とアラカンの縁のように、世界はきっと一つにつながっている。市民に銃を向けるな。暴力による支配をやめよ。世界が連帯して怒りの声を上げ、圧力をかけなければならない。(潤)


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