レイ・ミラーが76歳で死去 ツインズ、オリオールズで監督を務める

オリオールズとパイレーツで長年にわたって投手コーチを務め、ツインズとオリオールズで監督も経験したレイ・ミラーが5月4日(現地時間)に亡くなっていたことが明らかになった。76歳だった。ミラーがオリオールズで監督を務めたのは1998~99年の2シーズン。2632試合連続出場を継続していたカル・リプケンJr.が1998年9月20日(現地時間)に記録のストップを申し出たときの監督としても知られている(ミラーはリプケンJr.に代えて新人三塁手のライアン・マイナーをスタメン起用した)。

ミラーが監督を務めた2年間、オリオールズは優勝争いに加わることができなかったが、ミラーは1978~85年、1997年、2004~05年と3つの期間にわたってオリオールズで投手コーチを務め、1979年のリーグ優勝と1983年のワールドシリーズ制覇を経験。1978年のジム・パーマー、1979年のマイク・フラナガン、1980年のスティーブ・ストーンとスコット・マクレガー、1984年のマイク・ボディッカーと5人の20勝投手を誕生させた。2010年にはオリオールズの球団殿堂入りも果たしている。

1998年9月20日(現地時間)、年齢による衰えが隠せなくなりつつあったリプケンJr.は試合前に監督室を訪れ、連続試合出場記録にピリオドを打つことをミラーに告げた。ミラーはこの出来事について、地元「ボルティモア・サン」に対し「私はとても感動した。彼は連続試合出場記録をストップすることを決断した理由の1つが私だと言ってくれたんだ。とても嬉しかった。言葉が出ないくらいに感動したのはあのときだけだよ。彼はいくつかの理由で今回の決断をしたが、そのうちの1つは僕のためだと言ってくれた。それを聞いてとても特別な気持ちになったよ」と語っている。

1978年から1985年途中までオリオールズの投手コーチを務めたあと、1985年途中から1986年途中までツインズの監督を務め、2年間で109勝130敗(勝率.456)。1987年からは10シーズンにわたってパイレーツの投手コーチを務め、1990~92年の3年連続地区優勝に貢献しただけでなく、この3年間の防御率3.40はメジャー1位タイだった。1997年に投手コーチとしてオリオールズに復帰し、1998~99年の2年間は監督を務めて157勝167敗(勝率.485)。その後、2004~05年に再びオリオールズの投手コーチを務めた。なお、選手時代はメジャー経験はなく、マイナーの投手として通算60勝65敗、防御率3.50を記録している。

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