サイ・ヤング賞の初代受賞者 元中日・ニューカムを公式サイトが特集

毎年11月になると全米野球記者協会の投票によって各リーグの新人王、サイ・ヤング賞、そしてMVPが選出されるが、この3つのアウォードのなかで最も新しいのがサイ・ヤング賞である。1956年から表彰が開始され、当初はメジャー全体から1名を選出。1967年からリーグ別に表彰する現在の形式に変更された。1956年に初代受賞者となったのはドジャースのドン・ニューカム。1962年に外野手として中日ドラゴンズでもプレー(登録名・ニューク)したこの選手について、メジャーリーグ公式サイトのサラ・ラングス記者が特集記事を公開している。

ニュージャージー州出身のニューカムは、父・ローランドに連れられてよくニグロリーグやマイナーリーグの試合を観に行った。このときにサチェル・ペイジという伝説的な投手の存在を知り、憧れや尊敬の念を抱いたという。通っていた高校には野球部がなかったため、セミプロのチームでプレー。17歳にして身長193センチ、体重100キロという立派な体格を誇り、1944年にオーナー夫妻と知り合ったことがきっかけでニグロリーグのニューアーク・イーグルスに入団した。

高校を中退してプロ野球選手となったニューカムは、1944年5月、子供のころに父や兄弟と訪れたルパート・スタジアムでデビュー。「Seamheads」のデータベースによると、1944年は9試合、1945年は7試合に登板したようだ。1945年シーズン終了後、ニューカムはロイ・キャンパネラらとともにメジャーリーグ対ニグロリーグのエキシビション・シリーズに参加。ここでブランチ・リッキーに発掘され、キャンパネラとともにドジャースに入団することになった。

マイナーリーグでのプレーを経て、1949年にメジャーデビュー。いきなり17勝を挙げる活躍を見せ、新人王を受賞した。1950年に19勝、1951年には自身初の20勝と活躍を続けたが、朝鮮戦争のため1952~53年は欠場。復帰した1954年はやや苦しんだものの、1955年には4年ぶりの20勝と復活を遂げ、そして1956年にはメジャーダントツの27勝(2位は21勝)をマークしてサイ・ヤング賞の初代受賞者となり、MVPも同時受賞した。当時、MVP受賞が決まったニューカムは「受賞できると思わなかったから驚いている。サイ・ヤング賞を受賞できることを期待していたんだ」と話していたが、1週間後にサイ・ヤング賞が発表され、自宅の芝生の上で飛び跳ねて喜んだそうだ。

ちなみに、新人王、MVP、サイ・ヤング賞の3つをすべて受賞した選手は、2011年にジャスティン・バーランダーが加わるまでニューカムが史上唯一だった。ラングス記者は「サイ・ヤング賞と同様、ニューカムは常に第一人者としての足跡を残しているのだ」と記している。ニューカムはその後、4年間で37勝にとどまり、メジャーでプレーしたのは1960年が最後。メジャー通算149勝をマークしたほか、投手としては打撃も非常によく、打率.271、15本塁打、OPS.705という通算成績を残した。

引退後の1962年に中日からオファーを受け、外野手として入団。81試合に出場して打率.262、12本塁打、43打点、OPS.789を記録し、1試合だけ登板した。2019年2月19日に死去。92歳だった。

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