「あの日」を過去に

 「時は流れる」という。時計の針が進み、絶え間なく「今」は「過去」になるものだが、流れていかない「時」もあるらしい▲1945年、私は長崎市の造船所に徴用されていて、原爆に遭いました。そう訴える人がしかし、証明するものがないとして「被爆者」とは認められない。とすれば、74年前、そこにいた私も、被爆の体験も、存在しないと言われるに等しかろう。「あの日」をもう過ぎ去ったこと、つまり過去にしようにも、できるはずはない▲いずれも90歳を超えている。自分は被爆者だと訴え、被爆者健康手帳の交付を求めてきた韓国在住の男性3人が、今月8日の長崎地裁判決で被爆者と認められた。これを受け、被爆した裏付けがないとして手帳を交付しなかった被告の長崎市はきのう、控訴しないことを正式に決めた▲田上富久市長は裁判に時間がかかったことをわびたが、では手帳交付の審査の在り方をこれから見直すかと言えば、そうではないらしい▲交付に裏付けが必要とはいっても、原爆で焼け野原になった地で、今になって、「私がそこにいたこと」をどう証明したものだろう。困難を極めるというほかない▲本人の証言の信頼性を重く見て、救済の道を広げられないか。そうでないと、遠い「あの日」はいつまでも過去へと流れていくまい。(徹)

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