猶興館のメンバー・白濱信 「人生の大きな財産」

「ラグビーをやったことは人生の大きな財産になった」と語る白濱=平戸市

 長崎県勢として初めて全国の舞台に立った猶興館。メンバー入りしていた白濱信(前平戸市長)は、まず開会式で全国のレベルを思い知らされた。一緒に並んで入場行進したチームは、前年度優勝校の秋田工。「体格が全然違った。こんなやつらとやったら、殺されるんじゃないかと思ったよ」
 実は白濱は純粋なラグビー部員ではなかった。その年の猶興館は、1年生のころから冬場にラグビー部でトレーニングしていた相撲、水泳、柔道、陸上、野球部の各主将が集結したチーム。それぞれ春、夏の県大会を終えた後にチームへ合流していた。白濱は夏まで野球部の主将だった。
 「それまで試合に出ていた下級生に申し訳なかった」が、各部の主将たちの存在は大きかった。当時のラグビーは華麗なパスワークなどの技術よりも、体格やパワーを生かして前に出るスタイルが主流。FWの平均体重は当時としては大型の72キロに達していた。各部の主将たちは指導陣から「とにかく思い切り突っ込め」という指示を受けて試合に臨んでいた。
 本来のラグビー部の主将を含めて、計6人の主将が集まったチームは強かった。日々の練習も厳しく、ランパスやスクラムは「早く終わりにしてくれ」というほどやらされていたが、この猛練習が県を勝ち抜く原動力になっていた。
 何もかも初めてづくしの全国大会は、あっという間だった。試合当日のメンバー変更など不運も重なり、高崎(群馬)に3-8で敗れた。白濱も本職のCTBではなくSOで出場。何度か大きくゲインして流れを引き寄せたが、全国の壁は高かった。「でもね、今思えば、いい経験をさせてもらった。学校かOBか分からんが、映画上映会を開いて遠征費を集めてくれるなど、地域が支えてくれた。人生の大きな財産になった」
 81歳になった今も「互いが協力する意識、チームワークの大切さはラグビーで培われた。スポーツのおかげで人とのつながりができた」と自負している。だから、これからの県ラグビー界の理想像をこう描いている。
 「ラグビーは大人数でやる競技。みんなで協調して子どもたちを育てて、強くなっていってほしいね」

© 株式会社長崎新聞社