横浜・米軍機墜落事故43年 語り継ぐ“事件”の記憶

米軍機墜落を語り継ぐ斎藤淑子さん=横浜市緑区

 横浜市緑区(現・青葉区)の住宅街で母子3人が死亡、6人が負傷した米軍機墜落事故から27日で43年となる。大きな犠牲や課題を残した悲劇を風化させまいと、同市緑区に住む斎藤淑子さん(80)は事故の実態や被害者の声を語り継ぐ活動を今も続けている。

 悲惨な事故は43年前の9月27日に起こった。神奈川県議だった斎藤さんの手元に「緑区に米軍ジェット機が墜落」と書かれたメモ用紙が届けられたのは、本会議の議場だった。すぐに抜け出し、重傷者が運び込まれた病院に立ち寄った後、現場に向かったという。

 目の前に飛び込んで来た光景が「信じられなかった」。家屋が焼け落ち、機体が墜落した地面はえぐれ、油と髪の毛の焦げたような臭いが漂っていた。英語とみられる文字が書かれた手帳を拾ったが、米軍関係者に取り上げられた。日本で起こった事故の捜査を米軍が主導する様を目の当たりにし、日本と米国のいびつな関係を痛感した。

 地元選出の県議として、墜落の原因解明や被害者支援に関わっていた斎藤さんが「二度と起こしてはならない」と思いを強めたのは、墜落によって2人の子どもを亡くし、自身も重傷を負って病院で治療を受けていた土志田和枝さんとの面会だった。

 重いやけどを負っていた和枝さんは声を出せず、手を握り合うことしかできなかったが、その澄んだ瞳が今も忘れられないという。斎藤さんは「一緒に頑張ろう」と声を絞り出し、「和枝さんに代わってできることをする」と決意した。和枝さんは、事故から4年4カ月後に31歳で亡くなった。

 これまで、墜落直後の現場や法廷闘争の写真などを用いた資料を使って、県内外で講演活動を行ってきた。8月末には地域の文化展でも資料を展示した。「大人だけでなく子どもにも事故を伝えたい」と児童文学講座に通い、事故についての書籍も出版した。

 斎藤さんは、原因や責任が十分に明らかになっていないとして、墜落を事故ではなく“事件”と呼んでいる。「米軍基地はまだ日本に残っている。またいつ起こるか分からない」という思いは消えない。

 横浜市内選出の菅義偉首相が誕生し、県内選出の大臣も名を連ねるが、斎藤さんは「神奈川の基地について言及がない。日米地位協定の見直しを強く望む。神奈川、横浜を平和のとりでに」と新政権に訴える。

 “事件”から43年。「まだ終わっていないし、絶対に忘れられてはならない」。そう力を込める斎藤さんは、これからも事故を語り継ぐ活動を続けていく。

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