急逝のレディオ湘南社長 オンラインで一周忌しのぶ

藤沢の夏の風物詩「遊行の盆」に参加した楢原さん(レディオ湘南提供)

 藤沢市のコミュニティーFM放送「レディオ湘南(藤沢エフエム)」の名物社長として知られた故楢原亮太さんが昨年1月17日に55歳の若さで急逝して1年。一周忌に予定していた「偲(しの)ぶ会」がコロナ禍の影響で中止となったため、同局は故人をしのぶ特別動画を制作し、命日の17日から生前交流のあった人々に配信を開始した。地域のイベントにも積極的に参画し、「防災ラジオ」の強化にも取り組んだ楢原さん。関係者はその功績を改めて評価している。

 楢原さんは2012年、同市内の明細地図の制作販売会社からレディオ湘南に転身。18年6月、社長に就任した。「どこへ行っても楢原さんがいる」と称されたように、地域の大小さまざまなイベントや行事に参画。企画立案力、実行力の高さや幅広い人脈が信頼を得ていた名物社長だった。

 一昨年12月に体調不良で検査入院。がんが進行しており、そのまま帰らぬ人となった。当初、同局は昨年3月にお別れの会を予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大の「第1波」の影響で中止に。

 一周忌を迎えるに当たり、改めて偲ぶ会開催を模索した。しかし、昨冬からの感染拡大の「第3波」を受け、断念を余儀なくされた。このため、オンラインで故人をしのんでもらおうと、同局は関係者約700人に特別動画のQRコードが入った案内状を送り、17日から公開を開始した。

 動画では、同市の鈴木恒夫市長、藤沢商工会議所の増田隆之会頭、ミュージシャンら15人が登場。故人との思い出やエピソードを語っている。

 楢原さんはロックを中心に音楽に造詣が深く、質の高い番組づくりを指揮する一方で、災害時に迅速、的確に関連情報を発信する防災ラジオの機能強化に注力。県内FM放送とコミュニティーFMなどで構成する「神奈川エフエムネットワーク」の発足、運営に尽力した。

 災害時にきめ細かく情報を入手するため藤沢市との連携を進め、改築中だった同市役所分庁舎(同市朝日町)1階フロアへの移転にも奔走。新スタジオからの放送は、死去から約2週間後の昨年2月1日だった。

 楢原さんの採用時の社長で、急逝を受け3年半ぶりに再び社長に就任した山田秀幸フジサワ名店ビル社長は「コミュニケーション力が高く、企画力に優れ、初の常勤社長として地域の期待が高かった。病床でも仕事のことばかり心配していた」と振り返った。

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