太陽よ、もっと高く

 「元始、女性は実に太陽であった」「私どもは隠されてしまった我が太陽を今や取戻さねばならぬ」。今から110年前の1911年、婦人運動家の平塚らいてう(ちょう)は25歳の時、同志たちと女性雑誌「青鞜(せいとう)」を創刊し、高らかに女性解放をうたった▲今よりもはるかに男性中心の時代だ。やゆされ、激しく批判された。だが、女性が自由に発言し、力を発揮できる社会を求めて臆さず声を上げ続けた▲終戦後の45年、ようやく女性参政権が認められ、翌年に男女平等を定めた憲法が公布された。らいてうは「いまこそ、解放された日本の女性の心の底から、大きな、大きな太陽があがるのだ」と希望をつづった▲きょうは「国際女性デー」。国際機関「世界経済フォーラム」の男女平等ランキングで日本は153カ国中121位に沈む。政治・経済の分野で女性進出が遅々として進まない現状がある▲そこに、あの“女性がたくさん入ると会議が長い”発言だ。抗議文を発表したNPO法人「平塚らいてうの会」事務局の金輪きみ子さんは「らいてうさんは日本が100年前からあまり変わっていないと思っているはずです」と憂う▲らいてうが85歳で死去してから今年で50年。もし健在なら、げき文をしたためているに違いない。「太陽よ、もっともっと高くあがれ」と。(潤)

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