悲願の「慰霊の碑」完成目前に逝く 諫早被災協・清水会長 犠牲者火葬の百日紅公園で救護被爆 有志「体験後世に」

救護活動の状況を大学生に語る清水さん(右)=2018年秋、諫早市、百日紅公園

 長崎原爆直後に諫早市に運ばれ、息絶えた犠牲者を火葬した地の百日紅公園(天満町)に「慰霊の碑」を建てる準備が進む中、建立を呼び掛けた同市原爆被災者協議会(諫早被災協)の清水多喜男会長が5月15日、93歳で死去した。被爆75年の今年夏に予定している除幕式を待ち望んでいたが、願いはかなわなかった。
 同公園はJR諫早駅から北東の本明川に近い高台にあり、1945年当時は市営火葬場。長崎原爆戦災誌(長崎市編さん)によると、400~500人を火葬した。清水さんは1週間、遺体を運ぶ作業や火葬に携わり、救護被爆。「数え切れないくらいの死体を運び、火葬場そばの畑で焼いた後、骨を拾った。その後しばらく食事が通らなかった」と生前、話していた。
 火葬場が93年に移転した後、諫早市が同公園を整備。清水さんは「救護活動に加わった人が減り、悲惨な史実が忘れられる」と危機感を募らせ、諫早被災協が3年前から建立準備を支援してきた。
 市が昨年末、同公園への碑の設置を許可したのを受け、長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)と諫早被災協は今年初めから、建立募金を呼び掛けた。台座は完成し、碑を設置するだけだった。
 清水さんは長年、諫早被災協で活動。同団体が高齢化と後継者難で一時休止した後の2017年夏、自ら会長に就き、再建に尽力。数年前から体調を崩し、入退院を繰り返していた。会長職を引き継ぐ小松タヅヱ副会長(86)は「真っ正面から物事に取り組み、会員みんなのために、という思いが強い人だった」と惜しむ。
 長崎被災協・被爆二世の会・諫早(森多久男会長)などは5月31日、同公園を清掃。森会長(65)は「もう少し早く完成していたら、見てもらうことができた。残念。清水さんの体験を後世に伝えるのが私たち2世の使命」と決意を新たにした。

黙とうする小松さん(左)と長崎被災協・被爆二世の会・諫早の会員=諫早市、百日紅公園

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